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空間が時間を含み、時間が空間を含む

個展リーフレット『浅見貴子展 −光合成−』、2011年、アートフロントギャラリー

古谷利裕
画家/評論家

筆で点を置く。もう一つ置く。さらにもう一つ。この時、描かれた三つの点には時間的なズレがある。しかし、既に描かれてしまった三つの点は、同時に目の前にある。ここで三つの点に対峙する者は、すべての点を同時に見るのだろうか。おそらく、答えはイエスであり、ノーでもあろう。既に描かれ、平面上に並置された点は、配置や散らばりとして空間的に把握される。だがそれだけでなく、点はそれぞれが一つずつ置かれたのだという主張を捨てることはない。一つ一つの点にはそれぞれ異なる時間が、点を置くその都度の感触が、そしてその移り行きが宿っている。

浅見貴子の作品を前にして最初に感じるのは、たっぷりと墨を含んだ筆で描かれた無数の点からなるリズムであろう。それは、巨大な太鼓による重く響くリズムが、聞くというより波動として身体に届くのと同様、見るというよりは受け止めるという感覚としてやってくる。ドスンと響く重たい点、あるいは細かく連打される軽い点が、それぞれ時間差を感じさせながらズレたり重なったりしながら広がり、全体として地響きのように重たい、あるいは虫の羽音のように軽やかな振動を生み出す。

だが意外なことに、その複雑な振幅をともなうリズムは、実は空間に起源をもっているらしいのだ。浅見は、最初は特定の実在する樹をスケッチすることから始めると言う。しかもその目的は、主に木の枝の構造を把握するためであるそうだ。木漏れ日を地面に落とす豊かに茂った葉たちが風で揺れる様を想起させもする点の集積は、葉というよりむしろ、枝の延び方や前後関係から導きだされるようなのだ。

まず、樹の形態や構造がしっかりと掴まれ、次に、必ずしもそれに拘束されないやり方で点が置かれてゆく。視覚的、空間的に掴まれた樹は、それに拘束されない点=リズムへと変換されて再把握される。この二つの異なる把握の仕方、その間にある変換と重ね合わせこそが、浅見の作品に独自の厚みを生んでいるのではないだろうか。空間が時間を含み、時間が空間を含み持つかたちであらわれるのだ。

点の集積が、そのリズムが、たんなる白黒反転の視覚的なモアレ効果に留まるのではなく、そこから、樹の佇まいや、樹に射す光の感触、枝を伸ばし葉を茂らせる樹に宿る生育の力までもがたちあがってくる。それは、この二重のプロセスを経ているためであるように思われる。

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