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浅見貴子「風と光を織り込む」

個展カタログ『Takako Azami "Viewing Light"』、2009年、M.Y. Art Prospects(掲載エッセイに加筆)

由本みどり
ニュージャージー・シティー大学准教授/ギャラリー・ディレクター

浅見貴子は、過去10年以上、様々な木を対象にした水墨画に専念してきた。だが、それらは、いちょうや松などといった、木の種類が判別できるような、植物図鑑的な絵からは程遠い。もっとも、観察眼のある者には、無数の墨の点からなる葉の総体や、細い線で描かれている枝ぶりによって、おおよその木の種類を言い当てるくらいのことは可能かもしれない。だが、それらを単に「木の絵」と言い切ってしまうことは、彼女の絵画の本質を見過ごすことになりかねない。

例えば、題を「Pine Trees」とする、2008年にニューヨークで制作された大型の作品がある。この作品に近寄ってみると、深い黒から、ほぼ透明に近い灰色までの、多様な濃淡の大小様々な点がひしめき合っており、それらの点を結ぶように、紙の地をそのまま残したか、胡粉で塗られた白い線が無規則にかけめぐっていることに気付く。画面から数メートル離れて初めて、これらの抽象的形態が、何やら木らしい様相をとり始める。画面中央から左下へ流れる太い墨の線が、決して真っ直ぐではない、松の木の幹を思わせ、薄墨と白の細い線が、四方へと広がる枝と、針のような松の葉を思わせるのだ。だが、私たちの記憶の中で、これらの複雑な点と線の集合が、一般的な「松の木」として自動的に認知されることは決してないだろう。なぜなら、私たちの記憶の中の「松の木」も、様々な場所の様々な気候条件の中で見た、一瞬ごとに異なる印象の総体にすぎないからだ。浅見は、具体的な木を表象しているというよりは、その木を取り囲む大気の刻々と移り変わる様を表象していると言っても過言ではないだろう。印象派のモネが、積み藁を様々な時間帯にひたすら描いたように。

ニューヨークでも、ブルックリンとクイーンズ地区では、空気も温度も少しずつ違うが、バーモントとニューヨークでは、北海道と東京ぐらいの気温差があるだろうか。近年、奨学金受給者として、多様な土地での滞在制作を重ねてきた浅見は、風土の違いに感性を研ぎ澄ませながら、日本でもアメリカでも変わらない制作の基本姿勢を確立している。そんな東西を越えた意欲的な制作活動が、従来の水墨画の海外における受容の限界をも克服しつつあるようだ。

2001年、12月、世界貿易センタービル・テロ事件後、ニューヨークのM.Y. ART PROSPECTSギャラリーでの個展を機に、海外発表の機会が増えた。2005年には、モスクワのゲルツェフギャラリーでも、大個展を開き、地元で好評を得た。今年は、富山県水墨美術館から東京の練馬区立美術館へ巡回する「現代の水墨画2009」展の11名の作家のうちの一人に選ばれただけでなく、M.Y. ART PROSPECTSで二度目の個展を開く。これまで、日本人の水墨画家で、定期的に海外発表を成した者は数えるほどしかいないことを考えても、この業績は軽視できない。

浅見の、余分な表象をそぎ落とした、自然の本質を追い求めるような絵画は、20世紀前半で言えば、モンドリアンの初期の木を抽象した連作、中頃では、ヘレン・フランケンサーラーによる、キャンバス地に絵の具をスポンジで染み込ませた大型の絵画、後半では、アグネス・マーティンの鉛筆の線で覆われた白いキャンヴァスの連作を想起させる。モンドリアンとマーティンが縦横の線による最も明快な抽象を編み出したのに似て、浅見は、墨の点と線とからなる独特のシステムを築いたし、フランケンサーラーが生のキャンバス地を水で薄めた絵の具で染めていったように、浅見も雲肌麻紙の裏側から表へと墨を浸透させて、豊かな質感をたたえた決して平面的でない、奥行きのある画面を確立させた。従って、水墨画だからといって、単に禅画や中国の水墨画に浅見のルーツを探すのは、短絡的であるだろう。彼女が大学で学んだ日本画の、胡粉や箔を用いる技術は確かに今の作品にも、生かされている。しかし、彼女が金や銀を取り入れる場合、それらの絵の具は極端なまでに薄められるので、よほど注意しなければ見逃すぐらいだ。

こうして、浅見は、日本画も水墨画も、その時々の彼女の感性を捉える手段として、自由に改変を加えながら融合していくことを恐れない。それらの伝統を保持することも重要ではあろうが、彼女は、あくまでも、現代に生きる個人に見合った、新しい表現を生み出すことを選び取る。浅見自身の言葉を借りれば、紙の裏と表の両面から描くことで、「画面を縫う」ような感覚を得た彼女は、そこへ「風と光を織り込む」ことさえできるようになったのだ。

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