Texts
波動を描写する絵:浅見貴子
展覧会カタログ『VOCA展2004-新しい平面の作家たち-』、2004年、上野の森美術館、(推薦文)
日盛りに、逆光を突いて梢(こずえ)を見上げるときの、めまいの残像。
ふいに暗い淵から浮上するや、両眼の虹彩に広がる眩しさの記憶。
そんな感触を思わせる、浅見貴子の近作の前に立つと、視覚がざわめく。
ひと筆で打った、墨の点。白く抜けた膠の半透明の線と点、余白部分。すべては互いに重なり並びあい、水紋にも似た広がりを幾重にも複雑に投げかける。麻紙の、裏側から置かれた筆致は、黒であろうと白であろうと、光と、光の裏側とに、ひるがえり合う。光とその残像が、表裏のアンフラマンスのうちに、絶え間ない振動を生み出しているのだ。
しかもそれらは確かに、1本の松の木である。筆勢のリズムは、空間のなかで合理的に自らを伸ばす、枝の力学に従っている。それを追って絵を見るうちに、光の中で、時間のなかに、樹とともに居るときの体感が呼び起こされる。画家が描いているのは、見ている人と見られている樹の、両者の間に生じる、生命感の波動なのだろうと思うのである。
絵としての構造は過激である、構造化されない、動きをやめない、画面に収まらないことを信条とする。水平の広がりとアンフラマンスの錯綜に、1回限りの、修正のきかない筆が置かれている。
つまり浅見の画面に打たれた点描は、デジタルカメラの画素や、コンピュータ出力のドットとは、考えうるかぎり隔たっている。それでもなお、彼女の絵は、それらの存在を視野に入れて初めて生まれるものだろう。
こうした絵画を、技法上の分類で水墨画の新展開ととらえるよりも、デジタル映像時代の絵画として見てみたいと考えて、本展に推薦することとした。